2011/05/23

風評風評って

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同じことを言っている人はたくさんいるので今更だけれど、「風評被害」という言葉に、むずむずとした歯がゆさ、違和感をずっと感じている。農家の人に罪はないし、補償されないんだから売れないと困るというのは当然。でもだからといって、「リスクは顕在化しないかもしれないが不安要素のある野菜」と、「そうではない野菜」が一緒に売っていたら、後者を購入するのを責める理由はどこにもない。ましてや安全という言葉が使われてはいても、その「安全」は「危険性を裏付けるデータが揃っていない」程度の論理にしか支えられていない。少なくとも、本当に安心して東北関東の露地ものや牛乳、魚介類を購入できるような説明は、僕の耳に届いていない。
ましてや子どもをもつ家庭なら、可能性のレベルで判断してそれらを食卓に取り入れないことは自然だと思うし、そうしてほしいとも思う。

例えば、「ある人が毎日畑の野菜につばを吐きかけていた」ということが判明したとして、もちろん洗って食べれば健康に被害はない。それでもそれを知った人はあえてその野菜を選んで買おうという気持ちにはならないだろう。責任の所在を追求するとして、そのつばを吐いた人が責められるのが当然の流れだ。「風評被害」という言葉を使って罪を消費者の側に転嫁するのはおかしいと思う。
しかも今問題になっている放射性物質は、程度の問題こそあれ、実際に害のあるもの。「外国産より有機栽培を選ぶ」のと同じくらいの選択の自由は、あっていいはずだ。それでも買うべきというのなら、ヨウ素セシウム以外の放射性物質についてもより詳細に、より多くの品目に分けて検査するべきだし、それぞれの特徴を説明するべき。それらの基準値の高さについても納得のいく説明がなされなければならないが、散々問題になっているように、今納得できている人は少ないのではないだろうか。

これは風評ではなくて、実際に健康問題が生じようが生じまいが、「心配せざるを得ない状況を生んだ」という実害なのだと思う。はじめに書いたように、農家の人が言うのはわかる。でもメディアや政府が風評と連呼して、消費者に責任を押し付けるのは気持ち悪い。補償を小さくしたいだけ?

経済は大事だけど、人の健康の先には立たないはずだ。

我慢できなくなってつらつら書いてしまった。なんかまとまらないね。

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