2011/03/17
笑顔を忘れずに 20:26
停電は不便もたしかにあるけれど、ひとつの灯りのあたたかさ、ありがたさを思い出す時間です。また、日々に埃のように積もっている無駄の多さに気付く時間です。
会社の中で伝わってきた話ですが、はじめの地震は学校のある時間帯だったため、流されずに助かった子どもたちも多いようです。ですが、家は、町は別。津波にさらわれて帰るところをなくし、両親を失った子がたくさんいます。
今はまだ救助のこと、原発のことだけで情報が飽和していますが、過ぎれば被災者のこれからの生活と心の傷が問題の焦点となるのは確実です。停電で文句を言っている場合ではない。今から、ひとりの人間に何が出来るのかそれぞれに考えたい。他人事として扱うのでも同情するのでもなく、自らの問題として、分担して背負っていこう。
僕の会社も教育に関わる企業として、率先して手を打てるといいな。
悲しい顔をしていても、周りの人は元気にならない。笑顔を忘れずに!
2011/03/14
仙台から帰りました 11:37
土曜の朝から、発電機や食料等の救援物資を買い集め、会社の関係機関へ配給してきました。
道路があちこちひび割れ、波打ち、ひどいところは土砂崩れで完全に埋まっていました。行きは道路状況も行ってみなければわからないような状況だったため片道15時間かかりました。
現地の状況は十分報道されているので余計な情報は垂れ流さないようにします。ただ、テレビで流されているような悲惨の状況ももちろん事実ではありますが、少し内陸に入った市の中心からは人々は落ち着いて行動しています。建物も、比較的新しい建物は倒壊していません。
無論、内部は多くが崩壊し、電気・ガス・水道も絶たれています。信号もつかず、夜は車のライトのほかは暗闇です。やはり事故車もありました。コンビニ・ガソリンスタンドは品切れでほとんどが閉店。僕の車も帰りに雪の山道でエンスト寸前になりましたが、幸い給油できるところがあり帰り着きました。
一番違和感を感じるのは、そういった被災地中心部と首都圏に流れる空気の差です。いくらテレビで見ているとはいえ、心持ちがあまりにも違って気持ちが悪い。もちろん話し合う必要はある問題ですが、首都圏の通勤通学など「今はそんなことなんてどうでもいい」という思いです。
なんだかちょっと人生観が変わってしまいそうです。
信号、街灯が点いているっていうだけでものすごい安心感です。むこうは断続的にずっと揺れているので、震度4くらいならなんとも思わなくなってしまいました。
さて、今朝は帰りついて寝ていましたが、そろそろ会社へ行ってきます。
道路があちこちひび割れ、波打ち、ひどいところは土砂崩れで完全に埋まっていました。行きは道路状況も行ってみなければわからないような状況だったため片道15時間かかりました。
現地の状況は十分報道されているので余計な情報は垂れ流さないようにします。ただ、テレビで流されているような悲惨の状況ももちろん事実ではありますが、少し内陸に入った市の中心からは人々は落ち着いて行動しています。建物も、比較的新しい建物は倒壊していません。
無論、内部は多くが崩壊し、電気・ガス・水道も絶たれています。信号もつかず、夜は車のライトのほかは暗闇です。やはり事故車もありました。コンビニ・ガソリンスタンドは品切れでほとんどが閉店。僕の車も帰りに雪の山道でエンスト寸前になりましたが、幸い給油できるところがあり帰り着きました。
一番違和感を感じるのは、そういった被災地中心部と首都圏に流れる空気の差です。いくらテレビで見ているとはいえ、心持ちがあまりにも違って気持ちが悪い。もちろん話し合う必要はある問題ですが、首都圏の通勤通学など「今はそんなことなんてどうでもいい」という思いです。
なんだかちょっと人生観が変わってしまいそうです。
信号、街灯が点いているっていうだけでものすごい安心感です。むこうは断続的にずっと揺れているので、震度4くらいならなんとも思わなくなってしまいました。
さて、今朝は帰りついて寝ていましたが、そろそろ会社へ行ってきます。
2011/03/10
思い出せない… 23:00
2011/03/09
2011/03/07
記憶のルーツ 0:24
昨夜はたくさんの夢を見たように思う。なぜだかはわからないけど、どれも子どもの頃に関連した夢。起きたときに少なくとも2つ、覚えていた。
ひとつは、中学校が舞台。学校の風景はでたらめだったけれど、体育祭当日らしい。クラス対抗のダンスだか応援合戦のようなものをしていて(実際そういうものはあった)、ちょうど自分のクラスが踊り始めたところ。僕はソロパートで途中から登場することになっていた。だけど、どういう振付なのか、何をすればいいのか全く分からない。
出番が来て、とにかく思い切ってみんなが踊る体育館の中心へひとり飛び出してみる。だけど、やっぱり何をしていいのかわからず、その場に立ち尽くしてしまう。
ふたつめは、小学校の夢。とはいっても自分は今のままの大人で、卒業した小学校の周りを歩いている。裏手に回ると、そこは里山のようになっている。新緑が美しく、小川が流れ、ゆく道のところどころに朽ちた木造の建物やアパートがぼうっと建っている。実際の小学校の裏手は細い商店街のある下町でただの住宅街なのに、その時は全く思い出せない。それどころかひどく懐かしささえ感じている。もともとが架空の景色のはずなのに、「まだ景色は綺麗だけど、ここもひどく変わってしまった」なんて考えている。
あのどうしようもない懐かしさはどこから来たんだろう。何度も繰り返し夢に見る景色というのが子どもの頃はいくつかあったものだけど、そういうもののひとつだったのだろうか。
夢というのは不思議だ。自分でもどこかへしまいこんで、どこかにあるということすら忘れている記憶が自分から転がりでてくる。何か訴えるように。その記憶を形作った頃の感情や出来事を思い出すことができたら、自分のことをもう少し理解できる気がする。でも、もうずいぶん遠くへ来てしまった。