2011/04/24
割れた 21:06
野菜たっぷりのカレーを、お店ではふはふとほうばっているときでした。ポケットからつるっとすべったiPhoneが、石の床に叩きつけられたのは。
1年そこそこで、3GSがなんだかんだで3台壊れた計算。
保証期間は過ぎているから、修理に出したら数万円。かといってまだ1年近く割賦払いがあるから、4に機種変したらかなりの期間代金の上積みが続く。こないだ彼女用のiPhone4も契約したばかりだし…。
見づらいけどとりあえず動くので、5が出るまで我慢して、割れたまま使うことにします。
みのり 1:36
もう二週間ほど前の話題なのですが…、友達カップルがゴスペルで出演するチャリティーLiveへ。ゴスペルとは言っても教会じゃない。カフェ?違う。そこは、八百屋さん。豪徳寺の「八百屋のやなちゃん」で開催されている「畑の実りLIVE」なのでした。
ゴスペルの他にも民謡ロック、ギター弾き語りとバリエーション豊かでみんなエネルギーに溢れていました。帰りには有機野菜を買い、おいしいごはんになって体も心も元気になるというすっばらしいイベントでした。いま、こういう生命力の伝播が必要だよね。
復興へ向かう道はひとつじゃない。お金を送るだけが支援じゃない。「がんばろう日本」て、うつむいて暗い顔していることじゃないでしょう? 元気でいられる僕らから、まずは笑顔を広げなくっちゃ。
今日、中華屋で夕飯を食べていると、家族総出で食事に来たらしい賑やかな一団が隣へ。楽しそうな声に耳を傾けていると、どうやら今日は赤ちゃんが生まれたらしい。周りにせがまれて、その子のお父さんらしき男性が、疲れた様子ながらも嬉しそうに出産のドキュメンタリーを話していた。
こんなときに子どもを持つと、きっととても気を遣う子育てになるだろうね。でも、それでも幸せなことだよね。その「それでも幸せ」っていう気持ちを、みんなが見つけられるといい。
2011/04/11
スケール 0:27
3万人、津波にさらわれた。電車は運休、車はガソリン不足で使えず、速い脚がなくなった。停電で、夜を見通す目を失い、インターネットで世界中に張り巡らせた神経は遮断された。
ヒトのスケールについて改めて考えている。3.11の前に持っていた自己のイメージと、今心に浮かべるそれは同じ大きさだろうか。世界の広さは、手の届く距離は同じだろうか。違う、とすれば、正しいのはどちらだろうか。どこかで、その測量に使う水準器が歪んでしまっていた。ヒトひとりは小さなもので、無力で、壊れやすい。
そんななかで、今日は幾人かの久しぶりの友達に会った。彼らの作ったものを見て、歌を聴いた。「小さな体」から生み出されたものは強いエネルギーに満ちていて、これまでとこれからを繋ぐ物語の中にあった。
いま、ヒトのスケールを正しく測り直すタイミングが訪れた。ひとりの大きさはどのくらいなのか、発する声はどこまで届くのか、手は誰のところまで繋がるのか。
僕はといえば、自分を過小評価しすぎて、本当にそのサイズになってしまっているのかも。ちょっとつっついてみよう。月曜日からまたがんばろう。