2010/12/29

4分の1



写真は3年くらい前。

23日、突然じーちゃんが亡くなった。突然というのはおかしいかもしれない。もうひと月くらいは、話の出来ない状態になって病院のベッドに縛り付けられていたから。
でも3ヶ月ちょっと前に会いに行ったときは、そんなこと想像もしないくらい元気だった。前にもここに少し書いたように、「ばーちゃんより3日長生きする」と言い続け、ばーちゃんのいた病院や施設に毎日通って世話をしていた。
それが、連絡をもらって横浜まで飛んでいったときにはもう、葬儀屋で冷たい布団にくるまれていた。

頭が良くて、背が高くて、自由に生きたじーちゃんだった。ついていくばーちゃんは大変だったろうけれど。
10人以上いた兄妹のほとんどを亡くしながら戦争を生き抜いて、雪国で機関車の運転手をやり、東京で蕎麦屋をやり、その後長く横浜で暮らしながら全国を釣り歩いていた。囲碁とパチンコと酒が好きだった。その年代ではそうそういないくらい丈夫な人で、何度手術をすることになってもしっかり回復していた。だから今回も、なんだかんだ言って元気になっちゃって帰ってくるんだろうと、結構本気で思っていた。

きのう、じーちゃんは骨になった。
お通夜の夜は、いとこを含めた孫4人と、母と、僕の彼女で葬儀場に泊まりこんだ。遅くまでわいわい飲んで、代わる代わる線香を焚いて、昔のことやいまのことを話した。もうなかなかそんなふうにみんなで集まることもなくなっていたから、きっとじーちゃんも喜んでいたと思う。

葬儀にはばーちゃんも施設から連れてきた。じーちゃんの献身が報われたのか、こちらの方は最近結構調子がよくなっている。じーちゃん釣りが好きだったからお魚を入れてやるんだと、おぼつかない手を棺に伸ばしていた。いつも愛を感じる、羨ましい夫婦。

去年のお正月は、じーちゃんとたくさんお酒飲んで話したのになあ。この間まで目の前で笑っていた人が、骨になって帰ってくるというのは不思議なものだ。もっともっと話をしたかったけど、じーちゃんは骨になって、みんなの涙になって、思い出になった。それから母の半分になって、僕の4分の1になった。

何千年も前のご先祖からじーちゃんまで、ずっとずっと続けてきた先っちょの僕の人生。じーちゃんみたいにかっこよく生きたいなあ。ゆうべ帰ってきて、いつもの温泉につかって星を眺めながら、そんなことを思っていた。

さあ、また一年が終わるね。
諦めと、赦しと、希望が一緒になってやってくる。

2010/12/25

クリスマス


家に帰ったら、夢が叶っていました。
写真の通り。びっくり。

実は今色々あって息のつけない状況なんだけど、嬉しかったなあ。本棚買わなくちゃ。

2010/12/16

(『ノルウェイの森』)

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トラン・アン・ユンの『ノルウェイの森』。ここ数年で一番長い間楽しみにしていて、一番その出来を心配していた作品。もちろん公開後さっさと観に行ってきた。
が…、まさかの…、まさかの上映設備トラブル! 予告編から音が途切れるなと思って嫌な予感がしていたら、本編開始後もやっぱりおかしい。一時間お湯に浸したカップヌードルみたいに、終始BGMが伸びてぐにゃぐにゃだった。やれやれ、といったところ。

映画館で働いていたこともある身としては納得がいかず、見終えてからもちろん返金してもらった。初めの数分からもう一度観なきゃなと思っていて、それでも立ちあがらず見終えてしまったのは、見慣れた風景に自然と吸い込まれてしまったから。早稲田の、それも自分の通ったキャンパス。何度となく歩いた道や階段でロケをしていた。
原作を読んだときから、イメージする風景は村上春樹も通った早稲田だったし、僕はワタナベ君そのものにどうも自分を重ねてしまうところがある。そういった要素が実態を伴って目の前に現れて、ころっとその世界へ落ちて行ってしまった。

頭痛のしてくるくらいひどい環境で観たので、もいちど観るまであんまり感想を持たないように努めている。それでも印象だけ書いておくと、心配していた菊地凛子の直子は結構良かった。生命力強そうな人だけど、しっかり直子として、脚の折れたテーブルのような命の上に立っていた。
緑はあんまり…かな。こなれた演技でないのが逆に現実味はあったけど、「私、あなたの喋り方すごく好きよ」って、映画で不用意にこぼれたそのセリフほど、安い感じではなかったのではないかと思う。

さあ、だんだん余計なことを書き始めたので切り上げよう。どうせ初めから、酷評にもまみれる運命の映画だけど、きっと悪くなかった。あまりに展開が急だとか、カットがぶつ切りで淡々としすぎだとか言われているはず。でも、とどまることなく自分を押し流していく運命とか女とか、運命のような女とか、そういう村上春樹の作品に感じる要素はそのまま生きていた。文体そのままに近いセリフも、トラン・アン・ユンの良い意味で地面からこぶしひとつ浮いた映像に合っていた。

今週末行けるかな。師走はほんとうに休まらない。毎日、精一杯だ。

2010/12/09

もじゃー

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うちの風呂にはアヒルとパンダが泳いでいるのですが、今日はもらってきた柚子も一緒に。柚子湯というには小さすぎる一個だったけど、とても良い香り。温まった。
今日はさむかったねぇ。今年もそろそろ近くの温泉に入り浸る日々が来そうだ。

そう、マイモジャがようやく新しいアルバム制作に動きそうだ。ライブ重視のバンドだからなかなかスタジオアルバム出さないし、なかなか日本来ないし、普段忘れがちだけど大好きなバンド。ツアーが終わったら始めるらしい。楽しみモジャー。

2010/12/08

カンフー・パンダ

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カンフー・パンダ6…。
…6?

一作目はまあ面白かったけど、6までネタは持つのか? 少年ジャンプ的発想か?

当面はとりあえず、トロンとノルウェイの森が見たい。

2010/12/07

どっぱーん

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毎日気持ちよく、疲れを吹き飛ばせたらいいのに!
ディズニー行く約束してて、行きたいけど行ったら帰ってこれない気がする。心が。

2010/12/05

あしたはあした

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たまにはひとりで過ごすのも悪くはないと思っていたけれど、あまりひとりになりすぎるのはだめだね。季節的にも危ないね。今思うと、去年の冬はほんと危機的状況だった。仕事以外で、もっと人と会って話をしたい。

病み上がり、休み明け。明日からふんばらないと。
でもま、難しく考えないこと。

2010/12/04

ワイエス展

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火曜の夕方あたりから体調崩して、水曜の午後追い出されるように早退。笑ってしまうくらいぴったりのタイミングで、同居人は一週間の関西出張へ旅立つ。まあ木金と会社休んだけど風邪くらいのものなので、とりあえず茶色のもしゃもしゃフリースともしゃもしゃルームシューズを装備して、2日間ふとんにこもって過ごした。冬のくまのように。嵐が連れてきた春のような陽気に目覚めたころには、もう元気でした。

今日土曜もそんなこんな、寝ていた方が具合悪くしそうな快晴だったので、久しぶりに母と美術館へ行ってきた。北浦和の埼玉県立近代美術館にて、アンドリュー・ワイエス展「オルソン・ハウスの物語」
ワイエスが、当人達が亡くなるまで描き続けた、姉弟とその家。昨年現役のまま亡くなったワイエスの、その生涯90余年。初期の作品はそれこそ戦前のもの。その頃の筆致と眼差しと、それから数十年後の筆致と眼差しが、同じように目の前にあることに微かな目眩を覚えた。絵画の面白いところは、写真とも小説とも違って、ひと筆の痕跡が残るところだ。作家の生きた「動作」、それがそのまま目の前に現れる。
ずうっと前に亡くなったような巨匠の展示でもそれは同じことのはずなんだけど、ワイエスはついこの間まで生きていたんだ。そのことが、人一人が積み重ね織り上げていく、小さな物語の雄大な流れを想わせる。

ワイエスの作品が発する物語というのは、それはそれは小さなもの。風にそよぐ一本の枯れ草であったり、納屋に転がるバケツであったり。そこでは人でさえ、なにげない一瞬でしかない。そんな呼吸一つで散ってしまう小さな小さな物語の、人やものがその瞬間まで関わってきたあらゆる過程によって、そうでしかありようのない必然。それを見つめる画家の、喜びと寂しさが一緒になった眼差し。その半世紀以上の堆積が目の前にあるんだから、そりゃくらくらするわ。

オルソン家の終焉という題で幕を閉じるこの展示、見終えたときにはなんだか年をとった気がした。
とても良い展示だったと思うけど、ほぼ全ての作品が素描か水彩の習作なので、ワイエスに初めて触れる人には引きが弱いかも。テンペラや、ドライブラッシュでも画集のハイライトになるような作品はひとつもないです。せめて画集や図版だけでもいくらか置いといたらいいと思う。

展示の後はお昼やら母が行きたがっていたカフェに行き、ついでに浦和の調神社(つきじんじゃ)というそこかしこにウサギのモチーフのある神社へ寄った。狛犬の代わりにうさぎ、手水舎で水吐いてるのも龍じゃなくてうさぎというなんともかわいらしい神社。来年うさぎ年だし、近い方ぜひ。